私が常々考えてきた事。
「家族ってなんだろう?」
私には、お母さんと呼ぶ人が3人いました。生みの母と育ての母2人。
生みの母は私が6歳の時、病で亡くなりました。私と妹を残して。
その後父が再婚し、2人目の母ができました。その母との間に妹が生まれました。
再婚から5年後離婚。間に生まれた妹は、その母が引き取りました。(後にその母は亡くなったそうです)
離婚して1ヶ月経った頃、3人目の母になる人を父から紹介され、私が当時中3だったので受験が終わってからの再婚でした。その4年後に弟が生まれました。その母が先日亡くなりました。
私はずっと3人目の母に気を遣い遠慮して、大人になっても実家に帰るのを避けていました。私の居場所ではない気がしたからです。実の妹も私と同じように早くに家を出ていました。
私の父でありながら、私の父ではない感覚。別の家族のお父さん。そんな風に思っていました。
父が亡くなって、母と弟と私達の関係はそれでも家族でした。私の名前を「ちゃん」付けで呼ぶ母。昔の気の強い母ではなく、弱々しい母になっていました。歩く時横に付き添い手を繋ぐと、冷たくて細い手。こんなに小さかったっけ…。
少しでも長く生きて欲しいと、先月父の四十九日で会った時思いました。
母は乳がん末期で抗がん剤も何回か使用していましたが、昨年10月抗がん剤を止めて、母も死を受け入れる覚悟が出来ていました。抗がん剤を止めてから、年末には食欲が戻り肌艶も良くなっていました。
年明けから足が弱り、浮腫が出て腹水と胸水も溜まってきていたようです。身体を支える事もしんどくなってきていたのだと思います。
自宅の廊下で転倒し後頭部を強打。病院に搬送されましたが、急性硬膜外血腫で3時間後亡くなりました。弟が付き添っていましたが、一瞬目を離した時に起きた事故でした。弟は自分を責めていました。助けてあげられなかったと。
腹水も溜まってきていたので、母の死期は近かったのかもしれません。状況は違えど、皆平等に訪れる。だとしても、さよならをする時間がなかったのは残念です。父の時も突然だったので。
今思い返せば、多感な年頃の娘がいる男性とよく結婚したな…と母を尊敬します。私だったら多分無理だな。いくら相手の事を好きだとしても、後から生まれてきた子どもと分け隔てなく愛せるかと聞かれたら、自信がない。
母には感謝しかないなと、今になって思います。
私の家族は、血の繋がりなんて関係ない、ひとつのチームだっんだなって思います。チームだから途中でメンバーが変わってもおかしくない。また新しいメンバーと協力して成し遂げていけばいい。まあ、簡単な事ではないけれどね。
これからは妹と弟と3人で、それと2番目の母との間に生まれた妹(今は私の妹のお店で働いている)と、4人で協力し合って生きていけばいいんだ、と思えるようになりました。
色々な家族の形があってもいいんじゃない?
あの頃の私にそう伝えたい。